『つまらない』で終わらずその先を見い出す~認知症の母と向き合うこと~
ここ数日、晴天続きで、昼間は暑いぐらいです。
ですが、湿度がないせいかカラッと過ごしやすいです。
久しぶりの母の施設訪問
昨日は久しぶりに、母の施設に行ってきました。
この3月でリハビリを卒業したので、もう単独で母を訪問できなくなりました。
なので、以前のように主人と訪問しています。
ひと月に、1~2回ぐらい訪問しているのですが、 まずまず元気そうで安心しています。
昨日は、カラーマンダリンという柑橘と私が作った『 きな粉シフォンケーキ』を持って行きました。
施設でもおやつが出るようなので、私の差し入れでお腹がいっぱいにならないよう、いつも母と分けあっています。
それに母のケアマネさんに、母が「最近ちょっと太ってきている」と言われたこともあって、差し入れはカロリー控えめを心がけているんです。
施設の食事は、朝昼晩の3食と、午後にはおやつも出るらしく、1日の総カロリーが計算されているらしいです。
なので、食べ物の差し入れは特に必要ないのですが、 訪問するからには、たとえ少しでも何か一緒に食べたいなとカロリーを気にしつつ持参しています。笑
アルツハイマー型認知症の母との私流向き合い方
主人は母の姿を見てから気を利かせたのか、どこかに消えたようで(笑)、約1時間ほど2人だけの時間を過ごしました。
私の差し入れを分けて食べながら、最近の世の中の変化などを母に話して聞かせました。
認知症だから、もちろん記憶には残りません。
だからといって、気のない相槌やウソを話したくなかったので、普通に話していました。
普通に話をしていると、母が独身時代の知人の生死を尋ねられるのですが、「私はまだ生まれてないから知らないよ」と何度も繰り返し答えることに…
たぶん、普通ならば、これが嫌になって「つまらない」と愛想を尽かしてしまうのでしょうね…
会話は『キャッチボール』だから、母と話していても正直、面白くありません。
私もスピリチュアル的なことを学んでいるとはいえ、最初に思うこと(つまらない)は同じです。
でも、そこで終わらず、 「つまらない」という気持ちの先を考えるようにしています。
すると「つまらない」と思うことが、これがどんな学びなのかと考えたり、楽しくなるアイディアがふと浮かんできたりするのです。
母の認知症は、アルツハイマー型の記憶障害なのですが、 新しいことほど記憶できないところがあります。
『玉ねぎ』に例えると、中心( 芯)になるほど子供時代や若い頃の記憶みたいで、皮に近づくほど今に近づいて行く感じです。
今の母の状態は、どんどん玉ねぎの中心(芯)に向かって行っているという感じかな…
記憶がなくなっていくことは、話が噛み合わないという『つまらなさ』がありますが、心情的には寂しいことです…
だからといって、寂しがっていては、自分が苦しくなるだけですものね…
どうしようもないことは思い悩まず、できることをやるしかないと思っています。
『どうしたら楽しくなれるか?』にスポットを当てる
昨日は母と『しりとり』をしました。
道具も何もいらないし、自分の知っている単語を言い合うだけなので、一番手軽な方法なんです。
それに頭の刺激にもなりますしね。
母と『しりとり』していると、時々私の方が単語が思い浮かばなくて、母が助けてくれたりしたことも。笑
すると、お互い楽しくなって笑顔になることもありました。
新しい話の記憶はできないけれど、言葉は話せてるから、今のところ『しりとり』は問題なくできそうに思いました。
『昔ながらの遊びが良い』とは聞いていますが、折り紙や、あやとり、福笑い、なども頭を刺激することにもなりますね。
何より本人が『楽しい気持ち』を持つことが大事だなと思いました。
施設でも、何かをやってくれているかもしれませんが、私が訪問した時は大抵、自分の席でちょこんと座っているだけです。
昨日も座って居眠りしていました。
主人の顔を見ても最初はピンと来ていないようでしたが、私の顔を見てようやく分かったようでした。
正直、 私はもう、母の知人や親兄弟の生死を何度も問われ、繰り返し答えることに嫌気がさしています。
これは、『卒業して、違う方法を模索せよ』という意味なのかもしれませんね…
それが母のため、ひいては自分のためにもなるのかなと…
今までは、根気強く何度も答える『修行』でした。笑
これからは「どうしたら楽しくなれるか?」にスポットを当てるようにしたいので、
次に母を訪問するときは、どんなゲーム?をしようかなと思っています♪