私のチャレンジ日記

脳出血の後遺症で少しハンデがありますが、色々とチャレンジしていきたいです!

私の経験した『病』〜脳出血したこと〜

前回は、「卵巣がん」と、その術後の合併症で「腸閉塞」になった事を書きました。
やっと退院できたのですが、体調が悪く、横になっている毎日でした。
それに、足の鈍痛で眠れない日が多く、そんな時は「睡眠薬」を度々使っていました。
整体院や近くの病院の整形もかかっていましたが、血液検査で「極度の貧血」だとわかり、かかりつけの大学病院へ送られたのです。
退院してわずか10日ぐらいのことでしたが、再び大学病院で入院することになり、今度は「血液内科」病棟でした。
数日、黒い便が出ていて、身体のあちこちに紫斑も出ていたので、「これはただ事ではないな」と自分でも思いました。
黒い便は、消化管からの出血のようで、それを補うために、連日輸血が施されました。
私は、筋腫で多量の生理出血を経験していたので、「これぐらいの出血なら大丈夫だろう」と勝手に思っていたのですが、生理出血と普通の出血では、「出血の質?」が違うのだと初めてわかりました。
普通の出血の方が、はるかに生命にかかわるのだとわかりました。
そして、「こんな出血(消化管出血)は初めてだし、今のうち(意識がある)にNさんに連絡しておこう」とベッドからメールをしました。
彼女は、直感が鋭くて、私が「そんな風(死)になるとは、まったく思えない」と返信をもらい、そしてすぐにセラピストさんに連絡してくれたのです。
そして、たくさんのレイキボランティアさんのお陰で、下血が止まったのです。
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その時に、あの辛い「腸閉塞」にまたなったのですが、「腸」の動きが完全に止まったことで、私の消化管出血も完全に止まったのでした。
そして、「腸閉塞」が治まって、いよいよ食事を再開した矢先、また「腸閉塞」になったのです。
さすがに3回目となると辛くて、看護婦さんや医師にも弱音を吐いてしまいました。
誰にどう嘆いても、どうあがいても、自分が「耐える」しかないのに…

「腸閉塞」で絶飲食の時は、上腕に栄養の点滴をずっとしてもらっていました。
でも、体はやせ細り「骨川筋衛門」になっていたため、体力もなく、ずっとベッドに伏せっていました。
婦人科医師が、「腸閉塞は、術後3ヶ月ぐらいでよくなるから」という言葉を頼りに、ただひたすら耐えました。
その言葉通り、その後は一度も腸閉塞になることはありませんでした。


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晴れて「腸閉塞」から開放された日に、看護婦さんに付き添われてシャワーを浴びて、スッキリ気分になったのですが、何か腰辺りが痛い…
私は、体が柔らかい方なので、腰痛とは無縁なのですが、だんだん「腰痛」が強まってくるのです。
そして、激痛になって、まったく動けなくなって、ベッドに寝たきりとなってしまいました。
どうも、「腸閉塞」で栄養点滴をしていたところから菌が入り、「化膿性脊髄炎」になってしまったようでした…
もう、「踏んだり蹴ったり」、「泣きっ面に蜂」状態で、「いったい、私の体はどうなってるの?何がしたいのー?」と泣き叫びたい気持ちでいっぱいでした。
そんな状態が2週間ぐらいは続きました。
そして、ようやく痛みが落ち着いて来た頃に、リハビリルームで「歩く練習」が始まりました。
やせ細った体にコルセットを付けて、足の筋肉も殆どないので、「リハビリ」の時間が近づく度に憂鬱でした。

12月になり、友達から、クリスマスの手作り「アドベントカレンダー」が送られてきました。
クリスマスツリーを形どった中に、カレンダーが書かれてて、別に数字(日付)が書かれた包みがあり、毎日その中身をカレンダーに貼り付けて「ワクワク気分でクリスマスを楽しむ」というものです。
すさんだ毎日を送っていたところに、温かい友達の思いやりがとても嬉しかったです。
いつでも見れる位置に貼ってもらいましたが、私よりも看護婦さんが楽しんでいるようでした。

私は、入院してから、毎日簡単に日記帳を書いていたのですが、ある日を境に空欄になっています。
後から見返すと、その日が、脳出血した日だとすぐわかるのです。
それは、2013年( 平成25年) 12月5日、48才でした。
この日から、私のもう一つの人生が始まったと思っています。

その日、少し気分が悪くて「昼間だけど、もう寝よう」と思い、眠りにつきました。
どうもその後に脳出血をしたようで、後の事はまったく覚えていないのです。
目が覚めた時は、波形モニターが目の前にあり、鼻にチューブが入っていて、主人が近くにいました。
私は、3日ほど眠っていたようでした。
自分が脳出血を起こした事は、主人や看護婦さんから聞いて初めて知りましたが、私が想像していた脳出血のイメージより、あまりに突然、あっけなく起こるものだなと驚きました。


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脳出血から目覚めて間もなく、「理学療法士・作業療法士」の二人によるリハビリが始まりました。
まったく自力で起き上がれなかった私は、ベッド柵につかまり「座位10分間キープ」からスタートしました。
この10分間でさえ、早く横になりたくて、辛くて忘れられない思い出です。
その後、それができるようになると、足首に少し重りをつけて足踏み、車イスからベッドへ移動、握力計を握るなど、どれも健常ならば簡単過ぎる運動なのですが、当時の私は、これらの運動も苦痛でした。
年末まで、病室でリハビリしていたのですが、土日や、正月休みの連休で「リハビリが休みになる」のがとても嬉しかった事を覚えています。
大晦日は、近くに有名な神社がたくさんあるので、終日電車が動いているらしく、主人と病室で「紅白歌合戦」を観ていた事を覚えています。(この時、私は病院指定の「無料個室」にいました。)
その年は、NHK朝の連ドラ「あまちゃん」が人気だったので、その曲が流ていたのが印象に残っています。

私の2013年(平成25年)という年は、特に「病」の連続で、家に丸々いたのが、4月と5月の2ヶ月だけなんです…
でも、この年を最後に、もう「病」に苦しめられる事はなくなりました。
2014年(平成26年)からは徐々に「復活」して行ったのです。
後日、この続きを書いてみたいと思います。