私のチャレンジ日記

脳出血の後遺症で少しハンデがありますが、色々とチャレンジしていきたいです!

『制限』を作っているのは自分自身⁉

今日は、午後から雨が降ったり止んだりで、気温が低めのしのぎやすい一日になりました。

最近、朝晩は気温が低くて、扇風機の風だけでも十分な感じです。

そういえば昨日、『ツクツクボウシ』が遠くで鳴いているのが聞こえました。

毎年この鳴き声を聞くと『夏の終わり』を感じて、ちょっとセンチメンタルになります。

 

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春や夏は、生命エネルギーの躍動が感じられてエネルギッシュなのですが、秋冬はその活動を静かに終えていくイメージがあります。『動から静へ』という感じですね。

だから、夏と秋の過渡期である今頃は、ちょっと物悲しさを感じるのかもしれません。 

 

すっかり秋になれば、春夏に成長した証を『実り』という形で受け取れますし、冬は春に向けて次の生命を送り出す準備を整えているように感じます。

どの季節もそれぞれの役割があって、生命にとっては大切ですね。

これは人間にも当てはまるだろうなと感じています。 

 

『常識的』より『意外性』に惹かれる

私は先月から断捨離塾に入ったので、時々やましたひでこさんから送られてくるメルマガを受け取ります。

そのメルマガで、やましたさんは、「夏が好き」と書かれていてちょっと驚いたんです。

失礼ながら、ご年齢から察するに『春・秋』と書かれていても不思議じゃないのに。

『夏』と書かれるあたりが予想外の驚きで、「さすがにエネルギッシュ!」と思ってしまいました。

 

確か夏至の頃だったと思うのですが、私もブログで『夏至と冬至』では、「今は夏至の方が好きかな」と書いたと思います。

昔の私は、『冬至』の方が好きだったけれど…

夏至といえば躍進的な「イケイケ、ゴーゴー」なイメージが強いのですが、冬至は保守的で「守りに入る」という感じがします。

誰しも人生において、そういうバイオリズム的な時期ってあるんじゃないかなと思います。

私も病気の渦中の時は、『冬至のイメージ』そのものでしたから…

「今は夏至の方が好きかな」と言える自分は、心身共に状態が落ち着いているということなんでしょうね。ありがたいことです。



それから、8月の音声講座では、やましたさんは「どんな天気も好き。雨の時は、特に荒れた天候にワクワクする」と話されていました。 

「これまた意外だな~」と思いながら聞いていました。

 

私は、「常識的」とか「普通は」という世界で生きてきたから、「意外性」に反応するタイプかもしれません。笑 それに、そうだったから違う世界に強い憧れがあるのだと思います。 

「常識的」というのは、無難で差し障りがなく、それはそれでいいとは思うのですが、面白みがないのです。個性がないと言うか…

それに、「常識的」という枠組みにとらわれてしまって、生きづらくなってしまうと思うのです。 

 

人間も動物も『良くも悪くも』環境に適合する

皆さんは、魚の『カマスの話』を聞かれたことがあるでしょうか?

 

水槽にカマスを入れて、その水槽の真ん中に透明の仕切りをします。

そして、仕切りの一方にはカマス、もう一方にはエサを入れます。

すると、カマスが餌を取ろうとして、透明の仕切りに何度もぶち当たります。

当然仕切りがあるので向こう側のエサは取れません。

次第にカマスは餌を取るのを諦めて、自分側の仕切りの中だけで泳ぐようになります。

それは、真ん中の仕切りを外してみても、同じように泳ぐそうです。 

 

「もう仕切りがないから、向こう側にも自由に行けるんだ」とカマスがわかるためには、どうすればよいか…?

それは、全く別のカマスを水槽に入れてあげることだそうです。

別のカマスはそんなことを知らないから、水槽の中を自由にを泳ぎ回ります。

その様子を見た制限カマスは、 ようやく「仕切りがないこと」に気づくというのです。 

 

この話を聞いて、「なるほど~」と深く頷きました。 

「学習する」ということは、人間だけじゃなく動物でも同じなんですね。

そして、「制限を作ってるのは自分自身なんだ」 ということにも気付かされました。

 

自分を変えるには、自分と違った考え方や価値観を持つ人たちの世界に身を置くことが大事なんですね。

そうすると、見える世界が変わってくるかもしれません。(^^♪