しがみついているとを本質を見失ってしまう…と思ったこと
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、ここ最近、ずいぶん暑さが和らいできたように思います。
雲を見ると明らかに夏とは違うなと感じます。
夏の空は、モクモクと勢いがある入道雲をよく見かけましたが、秋の空は、うろこ雲やすじ曇が多く見られて「穏やかだな」という気になります。
明日は定期検診に行く日なので、今回も車窓から季節の移り変わりを楽しみたいなと思っています。
前回は真夏だったから、西日が強くて暑さ疲れしてしまったけど、今回は気候的に過ごしやすいだろうなとワクワクしています。
今月に入ってから、色々と放置していた事柄にスポットを当てて断捨離をしてきたせいか、気分的にスッキリしました。
ですか、肉体面は、今頃になって「お疲れ気味」という感じです…
先日のブログにも書いた「歯痛」で頬がちょっと腫れたり、手足に青アザが出来たり、頭が痛かったり、ボーっとしたり、眠かったり…
普段は元気なだけに、 体の不調があると何もやる気が出ません。笑
「秋分の日のエネルギーと関係ある?」と思いながら、今日は無理をせず、かなりゆっくしています。
「明日は病院に行く日だし、体力を温存しとかなきゃ」て思っていますが、よく考えるとこれ、「変な話」ですよね。
本来病院は、体調が悪いから「行くところ」なのにね。笑
今の私にとって病院は、治療してもらうところではなく、検査結果で薬を減らしてもらうところになっています…
「注射から完全離脱したい」そんな思いが、今は『射程範囲内』になってきましたが、とにかく焦らず深く願わないようにしたいと思います。
『やることはやって、結果は期待しない…』このことを意識しつつ。
私は『特定疾患』から外れたいの?外れたくないの?
私は考えたことがあるんです。
特定疾患である自分が、特定疾患から外れることを恐れていないだろうか?ということを。
昔は確かに恐れていた自分がいます。でも今は恐れる必要がないのではないか…
恐れていたのはやはり金銭面?…ということになります。
(今は「お金がある」という意味ではないです。考え方が変わってきたということです。)
最近は、特定疾患の審査が、昔よりかなり厳しくなってきています。
発病当時(35年ほど前)は、医療費は無料、 医師の診断料は無料、行政からのお見舞い金の給付(1万円)など、金銭面はかなり優遇されていました。(今は有料、見舞給付金なし)
確かにその当時は、ありがたかったし、お陰で治療もいっぱい受けられたという恩恵に感謝しています。
ですが、その優遇制度が『ぬるま湯』状態になって、病気という湯船から「出よう」という気を起こさせなくなっていたと気がつきました。
それに、「病気が治って欲しいと願いながら、治って欲しくない…」そんな、矛盾した自分がいることにも。
「病気が治ってしまうのが怖い…」 「何が?」 「一番は金銭面…」
でもよくよく考えれば、病気が良くなってしまえば、治療を受けなくてもいいのだから、お金がかからないし、喜ばしいこと。
「病気の時は、制度はありがたく使わせてもらう、でも治ったらありがたく返還する」ただシンプルに物事を見ればいいだけのことなのに…
病気を治すことが本質なのに、以前の私は、金銭面の優遇に気を取られ、本質からずれた考え方をしていたのです…
しがみついていると本質を見失ってしまう…そんな気がします
優遇されるということは確かにありがたいし嬉しいことだと思うのですが、それが永遠に続くわけでない…
時代の情勢によって制度が変わるわけだし、 過去にしがみついていても仕方がないのだと分かります。
それも執着になるんでしょうね…
「もう使わないけど、持っていると安心」なもの…私にはまだあります。
先日私は「運転免許証を返納」したんですが、これも36年ぐらい持っていた資格なので、手放す時は勇気が要りました。
もし私が『特定疾患』も外れることになったら、これも運転免許証と同じぐらい病歴が長いから、手放す時は勇気が必要かもしれません。
でも免許証を手放せたので、そんなに難しくないかなと思っていますが。
とにかく、特定疾患のことを考えるのは、まだちょっと先になりますが、その時が来たら潔く手放そうと思っています。
いえ、手放します!(宣言) 健康になりたいから…
では明日の定期検診に行ってきます。
そして車窓からの景色を楽しんできます(^^♪