『50音マラソン』『た』~『助けてもらう』や『頼る』ことは自分のために大事~
今日から『50音マラソン』のルートに戻ろうと思います。
新年は、『た』行からのスタートです。
『た』で、まず思いついたのは、『助け』や『頼る』という言葉でした。
私はこの身体になってから、『助けてもらう』や『頼る』ことは、健常な時よりできるようになりました。
というより、物理的に『助け』を求めないと、無理なんですが。^^;
健常な時の私は、人に頼むより自分でやってしまう方だったので、「なんで私ばっかり」と不満を募らせることがよくありました。
今から思えば、以前の私は、「こんなことを人に頼んだら、どう思われるかな‥」とか、「イヤな顔されるんじゃないかな‥」と人の反応ばかり気になって、悪い方に想像していたのです。
だから、「イヤな思いをするくらいなら、自分でやった方がマシ」と思って、一人で背負いこんでいたのです。
その思いが、自分を苦しめることになるとは知らずに…
ですが、この身体になってからは、そんなことは言ってられませんから、人に助けてもらったり、自分にできないことは頼ることができるようになったのです。
多くの人は、健常な時の私みたいに、一人で抱え込んでることが多いのではないかな…と思ったりします。
そうなると、「なんで私ばっかり」という不満の思いが湧き上がってくるんですよね…
そして、察してくれない相手に怒りがこみ上げてきたりと、負のスパイラルにはまってしまう。
でもよく考えてみると、そうさせたのは『自分だ』ということをわからないとダメなんです。
一人で苦しんで、一人で怒って… 相手には伝わってないから、何とも思っていないかもしれない。
だから、自分の為にも、『助け』を求めたり、『頼る』ことをした方がいいと思うのです。
断捨離から学んで意外に思ったこと
断捨離で、まず最初に学んだことは、『物を処分することで、その物に貼りついた自分の感情も一緒に手放すことになるから、気持ちまで軽くなる』ということを学びました。
このことは、スピリチュアルでも『負の感情の手放し』という、似たようなワークがあって、すぐに理解できました。
ところが、断捨離の学びで一番驚いたのが、『自分をもてなす』ということだったのです。
『自分をもてなす…⁇』
もてなすことは、『人に対して』だと思っていたのですが、『自分に対しても同じように』というのは衝撃的でした。
『もてなし』は、子供の頃から『人に対して』であって、『自分はどうでもいい』というような、ランクを落とした考えをしてきました。
これは、たぶん皆が同じようにしてきたと思うのですが、実は、これ、『自分を大事にしていないこと』になるみたいなんです…
この話を聞いてからですが、私はたま~に、来客に出すコーヒーカップや湯のみを使って、自分をもてなしてあげることがあります。
こんな些細なことですが、『自分を大事にしてるな』と思える瞬間なのです。笑
来客と同じもてなしと書きましたが、これは住まいの断捨離にも言えることです。
断捨離をして部屋の空間を蘇らせ、自分が心地いいなと感じることも、『自分をもてなすこと』に繋がるのです。
『自分をもてなすこと』=『自分を大事にすること』
断捨離の『自分をもてなすこと』を書きましたが、突き詰めると、人に『助け』てもらったり、『頼る』ことも「自分を大事にする」ことになると思うのです。
苦手なことで『助け』を求めたり、『頼る』ことで、自分に余裕が生まれます。
そうすると、「私ばっかり」という不満が消えてきて、だんだん「自分が好き」になってくるんです。
「自分が大事」とか「自分が好き」と言うと、人によっては『自己中心的だ』と捉えられるかもしれませんが、自分が満足していないと、精神的にも物理的にも人に分け与えられないと思うのです。
だから、これからも私は「自分が好き」でいたいから、自分一人で抱え込まず、『助け』や『頼る』ことを人にお願いして行こうと思っています。(^^♪
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