私のチャレンジ日記

脳出血の後遺症で少しハンデがありますが、色々とチャレンジしていきたいです!

「幸せ・不幸せ」は自分が決めている!?〜コインの裏表〜

4月になりましたね。^^
桜や春の草花の躍動感がみなぎって、車のお出かけが楽しい季節になりました。
そして、旬のフルーツといえば、そう、「いちご」ですよね〜
道路沿いには、「いちご大福」と書かれたのぼりが立ってる和菓子店が多く、それについついそそられてしまいます…^^;
ということで、私も買ってしまいました。
「いちご大福と桜餅」です。
次は、いちごのショートケーキを食べてみたいですね〜^^

 

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(~隣町の桜並木より~ 夫が撮影し、ラインで送ってくれました。)

私は、外出をほとんどしないので、リアルに会う人が限られています。
家族では主人、毎週の往診は地元の医師、ケアマネさんは3ヶ月に一度の訪問…それぐらいですね。
友人ともめったに会うことがなく、メールぐらいの付き合いになっています。
なんか、浮世離れしてる生活かな…と思いつつ、別に、「人恋しい」という寂しさを感じたことはないですね。
それより、今の自分の思想をシェアできないという、小さな孤独感はありますけどね…^^;
(でも、夫は、スピリチュアル系の話を聞く耳は少し持ってるので、救われています。)

 

心にもトレーニング!「ーない」より「ーある」にフォーカスする

先日、友人からメールをもらいました。
内容を読んでいると、やたら「ーない」と書かれた文章が羅列しているのです…
例えば、兄弟と上手くいってない…とか、
体調が良くない…とか、
その他もろもろ、他にも4つぐらい書いていたと思います。

彼女は、自分でもネガティブなことを書いているとわかっているみたいで、最後に「ゴメン」と書かれていました。
おそらく、どうしようもない胸の内を、誰かに吐露したくなったのでしょうね…
気持ちはわかるけど、私が最初に思ったことは、

「よくまぁ、これだけ「ーない」にフォーカスしてるな〜」と感心したことです。
そして、そんな現状を見事に「引き寄せているな〜」ということでした。^^;

昔、流行った歌の歌詞に、「幸せを数えたら、片手にさえ余る、不幸せ数えたら、両手でも足りない〜」っていうのがありました。
その影響かな、まさにそんな印象を受けました。


人というのは、無意識に「ーない」の方に引っ張られてしまうもんだなと思います。
たぶん、誰でも?だと思います。
私も健常な時はそうでしたしね…
今の私は、だいぶ「ーある」を意識できるようになりましたが、それでも知らない間に「ーない」に引っ張られている時があるのです。
やっかいですよね…^^;


私から彼女には、「ーない」より「ーある」にフォーカスした方がいいよ。と返しました。
そして、ホントは、自分の障害のことを引き合いに出したくはないのですが、そうしないと伝わらない時は、出すようにしています。
今回もそうでした。

私は右手で字を書くのは難儀だし、一人で外出もできない。
「ーない」にフォーカスしてたら、生きるのが辛くなる。

でも、私には左手があるし、主人や人の介助、歩行器があれば外出もできる。
「ーある」にフォーカスしたら、とても生きやすくなったよ。
そんなことを彼女に書きました。

それから、彼女は「ジム」で体を鍛えてるのですが、
「肉体のトレーニング」をするように、「心のトレーニング」をすることも大事だよ。
と加えました。


体のクセを治すために、「矯正」ってありますよね。
心にも「思いグセ」があって、意識して「矯正」することは大事だと思います。

「体の矯正」でいえば、
私は経験がないけど、例えば「歯の矯正」とか。
見栄えが良くなるだけでなく、歯磨きしやすくなったり、虫歯になりにくくなる等、あとあとケアが楽になります。
そんな感じで、心にも「思いグセ」ってありますから、物の見方、考え方を意識して「矯正」するようにすると、生きやすくなると思います。

ただ、「肉体の矯正」と「心の矯正」は違いますからね…
外からのアプローチか、内からのアプローチかの違いです。

「肉体の矯正」は「歯の矯正」のように、物、他者などの力を借りて、調整していくことができます。
ですが、「心の矯正」は、内面のことだから、自分で調整するしかないのです。
「自分次第」という言葉がありますが、ホントにそうだなと思います。
結局のところ、「幸・不幸」にしているのは、自分なんですよね…
そして、この2つ(幸・不幸)は、コインの裏表のようになってますから、自分の思いようで、本当は簡単に反転できるんですけどね…^^;


友人からは、「ゴメン、自分のことばかり考えてた…」と返ってきました。
いやいやホント、誰でも頭の中が悩みで一杯な時は、自分のことしか見えないし、考えられないもんです。
でも、そういう現実を創り出しているのは、実は「自分なんだ」と気づいていくことが大事だなと思いました。


今の私からしたら、健常であること…それだけで、恵まれているなと思うんです。
このことは、究極を経験した今だから、言えることかも知れませんが。
もし私が健常だったら、やっぱり彼女のように「ーない」にフォーカスしてるかもしれませんね…^^;


配られたカードに文句は言わない。
そのカードで勝負する。

誰かが話していた、その言葉が私の心の支えになっています。
ホントにその通りだなと思います。
たとえ、自分にダメなカードが配られたとしても、勝負は最後までわからないから、諦めない、投げ出さない。
最後には、嬉しいサプライズがあるかもしれないですしね。^^
おそらく、人生も同じなんだと思います。

 

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私は、自分が障害者になったことで、健常な時より、幸せを感じるセンサーが高くなったと感じています。

正直なところ、障害者になったことには感謝できませんが、幸せの感度が高くなったという点では、とても感謝しているのです。(^^♪

 

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