『断捨離』は自分を大事にすること
今日は、どんより曇った一日でした。
それに、昨日もそうだったのですが、時々窓のカーテンが暴れるぐらい、強風が吹き荒れていました。
『もったいない』のは物? or 自分の空間・時間・労力?
私の住んでいる地域では、毎月第3日曜が『古紙回収の日』になっています。
その日は、紙だけでなく古着も回収してくれるので、この日に焦点を合わせて、先日から始めている断捨離で出た古着や雑誌、楽譜など、自分の『未練・執着もの』を一気に処分しました。
そのせいか、押入れの中はだいぶスッキリしました。
ですが、まだ本当のスッキリ感ではないので、 もうちょっと絞り込んでいきたいと思っています。
一般的には、『断捨離』=物を処分すること だと捉えられていると思います。
私も、物を処分する時は『断捨離』という言葉をよく使っています。
でも、『断捨離』提唱者のやましたひでこさんが意図することは、『断捨離』とは、単に物を処分するだけでなく、思考の整理でもあるようなのです。
私は断捨離に関する本は読んだことがないのですが、今回はまず、やましたひでこさんの YouTube動画を何度も聞き返して、自分の思考パターンを変えることから取り組みました。
その動画を聞いていると、胸に刺さった言葉があったのです。
それは、目に見えるもの(物質)を処分することは、『もったいない』と言うけれど、(それを維持するために)目に見えないもの (自分の空間、時間、エネルギー(労力)」はもったいなくないのですか?という問いかけでした。
言われてみれば本当にそうだなと思いました。
愛着がないもの、忘れているものなど、もうとうに気持ちが離れている物に対して、それを保管するための場所や、自分の時間、自分の労力を使っている方が『もったいない』と思ったのです。
まだ使えるものを捨てるなんて『もったいない』という意識は、自分が成長していく過程で、親や社会に刷り込まれた意識であると思います。
でも、その意識を取り入れて『整理整頓』しても、うまくいかない、何か違う…とずっと感じていたのです。
時代とともに、考え方・方法は変わっていくもの
私の中学時代、放課後のクラブ活動で、『柔道部』の練習は、うさぎ跳びをしながらランニング練習をしている部員の姿を当たり前のように見ていました。
またテレビドラマでも、うさぎ跳びしながら、神社の階段を登るトレーニングしているシーンも。
でも今では、膝を痛めるリスクがあるとのことで、練習に取り入れていないという話を聞いたことがあります。
また、体育の授業では、マラソン中は「水を一滴も飲んではいけない」と言われていたのですが、今ではテレビ中継を見かけると、給水ポイントが設置されていて、体への負担がないように考えられています。
昔は「スポ根や根性論」と言う『精神性』にスポットを当てていたと思うのですが、今は人体の構造学に則った科学的トレーニングへと変わってきています。
何が言いたいのかと言いますと、時代の流れとともに、考えや、方法が変わってきているなと感じるのです。
それを『整理整頓』に置き換えると、昔は、物を捨てずいかに収納するかという考え方でした。
ですが、今は、自分にとって不要なものを手放し、それは物だけでなく思考(頭)の整理にもなるのだ という考え方になってきています。
今から思えば、昔の考えは、その方法がベストだったのでしょうね。
断捨離は『手段』であり『目的』ではない⁉
やましたひでこさんの動画では、
『断捨離』は手段であり、目的ではない。
目的は、 健康と安全、 安心と元気、 開放感と爽快感に満ちた空間をつくること。
それを自分に提供し、自分がそのようになっていくというクリエイティブな作業であると語られています。
そして動画の最後には、
断捨離で物を捨てて、仙人のような暮らしや節約を勧めているわけではない。
断捨離は、物とのより良い関係を築きながら、ご機嫌な暮らしを作っていくこと。
と締めくくっておられました。
つまり断捨離は、『自分を大事にすること』なのですね。
時代の流れとともに、考えも変わりつつあります。
だから、何にせよ、良いな、素晴らしいなと思う方法は、どんどん取り入れて柔軟な思考でありたいなと思っています(^^♪